誰かが手を握っていた、ジンはウィルかと思い握り返した。
 痛め歪んだ喉から出るこすれるような声ではなく心配する女性の声が返ってきた。
 頭はハッキリと覚め、腫れぼったいまぶたを開けて手の持ち主を探る。シワの刻まれた婦人の顔があった。
 ジンはぱっと手を放すと上体を起こそうとしたが婦人はそのままで、と手で制止した。
「……ご迷惑を」
「今は休耕期だから、みーんな家仕事してるだけだからかまわないよ」
 婦人はそうキッパリ告げるとこの村の名前、婦人の名前、二晩たったこと、ジンの体の状態と、ウィルの心配していた様子を説明する。ジンは頭を枕にあずけたまま聞いていた。
「ウィルは……」
「今日の朝に町の場所を聞いて西へあなたの為に薬を買いに。あとその町の近くにある私の昔なじみの卵屋におつかいを、ね」
 続けて「ごめんなさい、もう足が弱くて自分ではいけないから」と微笑した。
「町へはどのくらいかかります?」
「行き帰りで大人で二日は……いまやっと行く道半分ってところでしょ」
 外の日の様子を見て婦人は答える。
「道も大きいし治安もそこまで酷くないからそんなに心配しなくても、年の割りにしっかりしてる子でしたよ」
「……そう、ですかね」
 ジンは生返事をしながら、狩人と出会ったらウィルは殺されるだろうなと考えていた。

   ***

 一日目村に着いた夜、ジンは高熱を出し昏睡した。
 用意してもらった水桶と手ぬぐいでウィルはジンの額と首筋を冷やし続けていた。夜明け前にジンは少しの間話せる程度に意識を回復した。
 ジンは開口「ここは、どこだ?」うめきながら聞く。
 ウィルは村の名前と一人暮らしのおばさんの空き家を借りている事を説明し、意識があるうちにと、水を飲ませた。
「村への道はずいぶん整備されていた……たしか、町へ、むかう街道の一部だ……狩人がよく使う」
 水を飲み干すと、ジンは熱にうなされながらウィルに伝える。
「街道を狩人が通れば、この村、ここに気づかれるかもしれない……山道を通って一人で家に帰れ」
「できない」
「狩人を看病する、妖魔を、俺はどう庇えばい…い… …………」
 ジンはすべて言い終わる前にまた意識を失ってしまった。
 ウィルは唇を噛み、ジンの額にのっている手ぬぐいを取り、水にひたし、ゆすぎ、絞り、乗せる。
「……ジンさんを置いて、帰れない」

   ***

 目を覚ました次の日の朝、ジンは体を起こし右腕の傷の包帯をゆっくり解く。傷は縫い目に血が黒く固まり、まわりは赤く腫れてうずき痛む、膿も滲んでいるが傷が腐りはじめる様子はない。
 作っておいてくれた包帯をジンは自分で不恰好に交換していると中途半端な妖魔の気配を感じた。ここの女主人の予想よりもはるかに早くウィルが帰って来た事がわかった。

 家のドアがノックされると婦人はウィルを出迎え、途中で帰って来たのかと心配の声をかけた。ウィルは肩にかけていたズダ袋から卵の入った茶色い紙のつつみを差し出す。

 婦人はびっくりした様子でウィルの顔を見ていたが微笑み受け取るとジンが目を覚ましたことを告げ、卵を食べればすぐよくなるとウィルを励ました。
 ウィルはすぐにジンの元へやってきた、ジンはベッドのふちに座って待っていた。
「熱さましとか、滋養薬とか痛み止めとか……高くて買えなかった、傷の軟膏と油紙くらいしか」
 申し訳なさそうに話すウィルのほうを見ずに、ジンは尋ねる。
「危うい事なのは分かってるよな」
「分かってる」
「なら、いいんだ……ありがとう」
 ジンはそう言い顔を上げウィルに向き直る。礼を言ったことが気弱にみえたのかウィルは酷く心配そうな顔をしている。
「熱は下がった、傷から毒が入っただけだ……ちがう、お前のせいじゃない、獣の爪で裂かれればそうなる」
 ジンは自分で不恰好に巻いた包帯を解いて傷をみせる、傷はまだ生々しい。
「よく縫えてる」
 赤黒いかさぶたからわずかにのぞく糸に指を這わせ確かめる。
「軟膏と油紙いれて巻きなおしてもらってもいいか?」
「うん」

 ジンの包帯を巻き直した後、ウィルは隣のベッドで仮眠して、午後から婦人の家事手伝いをしていた。時々婦人の声感心するような高い声が安静にしていたジンの耳にはいった。楽しそうだった。

 その晩二人はオムレツを作ってもらった。
 ジンは利き手でない左手で食べにくそうに口に運ぶ。
 ウィルも左手で口に運んでいる彼はこちらが利き腕だった。しかし運ぶ手は軽くない、パンとスープとオムレツのセットを残さないよう苦しそうに食べている、たいした量はないが小食には辛い量だった。

「体……傷だらけだ」
 ウィルは思わず声が出た。ふと上を脱いでいたジンを見ると肌の色の薄さもあって傷跡が背、胸、腹、あちこちに見える。四年も一緒に居て気づかなかった、首と左腕にあるだけだと思っていた。
 左腕は目立つからすぐにわかる、傷の無い肌の隙間がなくなるほど、深い、浅い、裂けた、えぐれた、こすれた、様々な形の傷が集まっている。
「ほぼ昔の傷だ」
 ジンは左手の木製スプーンを置き、右手で左腕の深い傷を指差す。
「ここの傷以来、左手の指先が利かない、力が入らないわけじゃないが針をつまんだりスプーンで上品に食べるのは難しい。急所や他人を庇ったり、妖魔を怯ませるために……色々酷使してきた」
「……」
「今回の傷は問題無い、たぶんな」
 そう言い、右手で木のスプーンをつまみ、もてあそぶ。
「ねぇ……」
 ジンは目を上げる。
「また、家に帰れって言わないの」
「言って帰るのか」
 文句ありげにジンは答えた。
「……“狩人がここに踏み込んできたら窓から逃げろ”これでいいか?」
 困った顔のウィルを見かね言葉を続けた。
「うん」
「まぁ、明日の朝にはここを出る、今晩だけの話だ」
「もう?」
「体を動かさないで居ると、逆に治りが遅くなる……食べて食器を洗ったら荷をまとめよう」

 予定通り、朝に二人は出て行くことにした。
 宿を借りた婦人にあいさつをして宿代を支払いたいと言ったが頑なに受け取らなかった。
 ウィルが家仕事の手伝いをしていて助かったのと、久しぶりに卵が食べれて嬉しかったと逆に感謝を述べ、更に焼き締めたパンを餞別にくれた。
 二人は頭を下げ礼をいい、村を後にした。村人の何人かはジロジロ見に来ていたが人通りの多い道の近村なので旅人の行き倒れやいざこざはそこまで珍しいことではないらしく多くは無関心だった。
 街道をすぐはずれて山道を通り帰路につく。ジンも旅荷を背負い山道を歩く、いつもよりゆっくりめに。

 来た道を振り返りウィルが呟く。
「とくに、働いたわけでもないのにいいのかなぁ」
 ジンは外套の頭巾の耳辺りを左手でつつきながらウィルに声をかける。
「畳んだ布団の上にここの内側に付いていた銀細工を置いてきた……あの人なら、きっとよく使ってもらえる」
「うん」
「……」
 このまま、「あの村で暮らしたらどうだ?」とウィルに言いそうになった。
 ウィルが名無し状態、言葉がおぼつかない半妖のころはジンはこうなるとはとても思わなかった。
 言葉を覚えて人の生活様式を覚えていくうちにでてきた彼の性格は神経質で愚直。人の気持ちやモノのあり様にまで多感で、素直で熱心と言い換えることも出来る。もしかしたら“情け深い”のかもしれない。
 半分の妖魔という獣の部分は何なのかジンは不気味に思えるほどそこは不思議だった。
 妖魔はそっくりそのまま人に化けて家族関係のある人間をも欺いて、人に協力させ身を庇わせる事がある。つまり体だけでなく人間をより理解することは妖魔にとっていい隠れ蓑を作る行為なのかもしれない、それならば納得がいく。そんな思索を抜きにしても彼には根をおろしたふつうの暮らしが似合っているとジンは気づいた。同時に半妖であるという事がただただ悩ましい。
 ウィルは人を襲って食べはしない。でも、難しい。数年一緒に居て分かったがウィルは体の成長、年齢のとりかたも人とはかなり違う。 なにより、村や町に妖魔狩人が居なかったのは幸運なだけで……。

 ウィルが物思いにふけっていたジンの頭巾の中を急に覗き込む。
「傷痛いの?」
「……いいや」


◀前  
2015.10.01/20150827下書き/20150903txt書き起こし