狩人になりたい

ジン……妖魔狩人の男、人間、白髪、無愛想、意外とメモ魔
ウィル……ジンが拾った半妖の少年、ジンと一緒に暮らして四年ぐらい

一人称:ジン  


 曇天の午後、右腕の傷の生っぽさがかすかに残るうちに体慣らしを始める。
 体を伸ばしてから、使っている剣と同じぐらいの径の木の棒を強く握り、指を一本ずつ関節ごとに開く、神経を痛めていないか念入りに確かめ、素振りを始める。

 右腕が使えない間ウィルがほとんどの家事をしていた、掃除洗濯洗い物は普段からしていたので問題なくこなしていた。
 しかし、普段からしないのと食べものに執着が無いのが要因なのか……たとえアドバイスしようにも料理だけは上達の気配も無かった。
 とんでもなくまずくはない、食べれない事はない、ただ出汁や下味不足の味気ない料理ばかりだった。彼の隣に立ち調理中に細かい指示や小言を言えばそんな食事は改善できたかもしれなかったが、二、三日食べなくても平気な顔をしている彼が毎日暖かい食事を作るだけでもとんでもなく気を使われているのが分かるので、塩を入れ黙って食べていた。

 今日からは食事を自分で作ろうなどと思いながら、体を戻すための基礎の型を振っていた。少し振りはじめただけで腕はだるく、汗が出る。
 なまった体に思わず舌打ちをして切り上げる。

 井戸の汲み桶から一口直接水を飲み、下の桶にあけ、両手でひんやりした水をすくい顔をゆすぐ。大きな安堵を感じた、とてもきもちよかった。
 今、安堵を感じたのは、冷たい水にではなく以前のように右腕がちゃんと剣を握れて動くことにだった。
 水がすべて指から滴り落ちても指を顔に這わせたまま動けなくなった。剣握り振るうことが出来なくなったら自分がどうなるのか想像し、固まった。

 嫌な汗が引き、鬱屈した気分のまま自分の部屋に戻った。本と、いつかまとめようと思っていた日記や走り書きの紙きれが重なりちらばる書机に向かう、何をするでもなく積もる紙をいじっていた。
 ちょっと前ならそもそも右腕の怪我はしない。若いころならもっと治りが早い、今日で抜糸できるぐらいには。今日の体ならしの稽古は不安だった、右腕が左腕と同様に不自由になっていたらと……。
 目を閉じ深呼吸するとノックが聞こえた。
 部屋に招き入れ机からソファに座り、同じく対面のソファにウィルも腰かけた。

「妖魔狩人、に、なりたい?」
 ウィルではないが上手く声が出なかった。
「うん」
 熱意を込め、青と真鍮色の両の目で見つめられる、その目から逃げたくてかぶりを振った後、顔を背ける。
「ダメだ、おまえは……」
「向いていない?戦いの、技術的に? それに……」ウィルは言い詰まる。
「ジンさんの、子供ではないから?」
 そういう問題ではないと強く彼に告げてやりたいけれど、自分の考えを彼にどう伝えていいのかわからない。お互い長く沈黙した、言葉を続ける事ができなかった、そらした顔をウィルに戻す。
「ウィル……違う、この家の名前は、血は、いいものじゃない」
 上手く伝えられないなら、本当のことを話す以外ないのかもしれない。
「狩人の仕事をまかされてきた家はたとえ金は得られても、こんな人里はなれた所に居を構えさせられてる。人の地位や誇り、やりがいとは無関係の仕事だ」
「べつにいい」
「おまえは字が読めるし書ける頭も悪くない……他に出来ることがある」
「ジンさんも読めるし書けるし教えることだって出来るのに、狩人だ」
 こうなると引かない。
「おまえが頑固で努力家でも無理だ」
「努力しても、狩人にはなれない?」
「なる必要が無い」
 ちがうと首を横に振るウィル、その彼の肩に手を乗せる。これは心配していた事でもある。

「いいか、お前は自分がどうやって生きていけばいいのか分からないから一番近いところにいた俺に、勝手に、憧れているだけだ」

 剣はいい、何処で暮らしても妖魔狩人に追われもする。剣を身に着け引きよせる理不尽よりも多くの理不尽から身と心を守る。
 これは彼にとって必要な事だ、だから望むままに教えてきた。
 でも、狩人になりたいという願いはどうしても否定しなければならない。逃げ道が無かった俺とは違うのだから。彼の真面目で素直なあこがれはきっとほかの事に向けていけると確信している。
「違う」
「違くはない。お前は町や村や人の中でふつうに暮らしていける……似合うよ」
 いつかの村の帰りに思うだけにしていた事を口に出してしまった。
 手を乗せていた肩を震わせ、ウィルは鼻をすすり心細そうにまた「違う」と言う。

「人から追われる時もあるだろう、でもそこは半分くらいはちゃんとお前の居場所だ……たとえ妖魔のように人間を殺して生きたってかまわない。どちらだとしても、おまえの背を押してやりたい」
 指に力が入りそうになる前に肩から手を外した。身を引き、ソファに沈みこむ。
「妖魔狩人になる事だけは許さない」

「……ジンさんは――

 ウィルの言葉の先が聞きたくなくて、とっさに音を立て立ち上がった。

「お前に教えることは何もない!!」

 青と真鍮色の目は見開き、強張った顔で俺を見上げる。
 彼を見ているのがもう、つらい。背を向け、振り向かずに扉に向かう。
「この家から……出てってくれ」
 おもわず口にでた言葉を吐き捨て、部屋から出た。

   ***

 ウィルに狩人になりたいと告げられた二日後、一度も顔を合わせることなく彼は家から居なくなった、旅の外套と剣と小さい旅荷を持って。
 あの言い方をしては当然で、今までよく剣の稽古や旅についてきたものだったなと感心する。これでいい、むしろ……遅すぎた。

 狩りの復帰の為に剣と体の稽古をしつつ、その日から自室の机の上を片付ける事にした。
 四年以上ためた走り書きの紙たちの中身は、半妖という生き物ついて薬の適量、怪我の治り、身体的特徴、半妖から妖魔の体の考察、ただの旅の日誌。
 軽く読み返す、なにか狩りで役に立つようなことは無い、清書し製本するような内容でもない、たいした意味もない。
 雑に束ね羊皮紙ではさみこみ麻紐で巻いた、今日の日付を入れ、本棚の下段に捨て置く。そこには同じような束がいくつもほこりをかぶり積まれている。

 大怪我をしたときウィルに縫ってもらった右手の傷をさする、てらてらとした赤味が消えたら抜糸できそうだ。
 彼が居なければこの怪我でおそらく死んでいた。
 自分の体の劣化というものは仕方が無い……怪我治りの遅さも、反応の遅れも、妖魔を斬るときの手ごたえが硬く重く感じる日もある、目も少し悪くなった。しかし、生きているからには”しなければならない”

「ジンさんは――

 ウィルが言おうとした言葉の続きは “―狩人は嫌なの?”だろう。

 嫌いだ、剣の稽古も、妖魔を見極めるための訓練も、一緒に連れて行かれた旅も父に嫌悪が募ることでしかなかった、父も、母も、俺の替わりにあとを継ぐために生まれてきたのに病死したただ弱いだけだった弟も、下働きの女も男も、ここにこの家に関わる物事はすべて煩わしい、不快だった。
 苦痛だったものが離れたり消えた後の家に居る俺に残ったのは、虚しい、それぞれの気分で勝手にもてはやされたり、怯えられるような狩りの腕だけだった。
 この家は終わりで、俺以外に、誰かが狩りを続けるようなことはもうさせたくない、あの家で自分の代替はさせない、させたくない、これだけはどうあってもゆるせない。
 この重くざわつく強い気持ちは嫌悪からなのか、固執なのか、愛着の末に狂ったのかは分からない。

 ウィルがいなくなってから十日経った。

 血で汚れ固まってしまった剣の握りの皮を剥ぐ手を止め、気のせいかと窓の外を見る。
 半刻ほど待ち、気のせいではなかった。家への道を覚えきってないのか森の中で時間をくい、やっと今玄関の扉の向こうに妖魔が居る、半分の。
 扉の鍵は開いている、彼が扉の前に着いてから内側から開けた、鍵が開く音も聞こえたはずだが開けてこない、ノックもしてこない。
 扉を開けてやる、玄関口にフードの付いた外套を着て薄汚れたウィルが居た、手に何かを持ち立っていた。
「どうした」
 一言告げるとウィルははっと下を向いた
「……それは?」見て分かる、どこまで買いに行ったのかわからないが、酒だ。
 ウィルは足に力を入れ顔をぐっと上げると俺に訴えた。
「二度と狩人になりたいなんて言わない、もっと剣を習いたい……だから一緒に居させてください」
「……」
「ごめんなさい」
「俺に謝ることは無い」
 ウィルは口を食いしばり首を横にふる。
 少年に、こんな謝らせ方をさせるぐらい俺は彼に不安と怒りをぶつけてしまったんだ、喉が絞まるような自己嫌悪が湧いてくる。
「空き瓶を売ってこつこつ貯めてた金……全部か?」
「これ以外、ジンさんが喜ぶ物をよ、く知らない」
「そうか……」
 手を出すとウィルは紐で提げられるようにしてある瓶の持ち手の部分を差し出した。受け取った。
「大切に飲むよ」
 玄関口から中へ戻る。少し振り返るとウィルは棒立ちのままだった。
「……もう怒ってはない、おかえり」
「ただいま、戻りました」


 
2015.10.09/下書き20130927/.txt書き起こし20150716/修正追記20150909